神と榊

鐘屋横丁

     

「いいえ。これまで祈る必要が無かったのは、サカキ様が強いお方だったからでしょう。リーダーとして。ボスとして。何より、人間として。
 私もきっと、何か話したかったのでしょう。ありがとうございます。」
「そうか。……つまり、俺は弱くなったんだな」
「そんなつもりでは」
「いい。気にしていない。誰かと番になるという事は、そういう事なのだろう」
「ええ。そのお方が大切であればある程、そうなるかと」
「……そうだな。大切だ。
 すまない。お前と二人だと何でも話してしまう」
「フフ。いいんですよ。私にとっても、教官殿は大切なお方です。私の敬愛するサカキ様を、世界一幸せにして下さるお方なのですから。
 ずっと気になっていたのですが、お二人は、式は挙げられないのですか?」
「特にそういう話をした事は無いが……」
「まあ。女の子に無理をさせちゃあ、ダメですよ? 今日、これが終わったら、聞いてみましょう」
「今日……。今日か?」
「はい、今日です」
 マイムはまた、ニコリと微笑む。
「参ったな。何の準備もしていないぞ」
「今この時間で、してしまえばよろしいでしょう。ね?」
 マイムはニコニコと続ける。やはり、優しい奴だ。この時間が重苦しいものにならないように、気を遣ってくれているのがわかる。
「……そうだな」
 
 その後は特に話さなかった。ただぼんやりと、女の事を考えた。時計の針は進み続ける。
 
 やがて、その時が来た。
 
「……手は尽くしたのですが」
 
 それ以上、医師の言葉が頭に入らなかった。
 通された部屋で、女は冷たくなっていた。
 若いままで。美しいままで。今朝出て行った、あの顔のままで。
「……」
 人の死を、見た事がない訳ではなかった。それでも信じられない。今すぐにでも目を覚まして、起き上がって、あの明るい声で名前を呼んで欲しいと、そう思ってしまう。悲しみは無かった。まだ、信じられないのだ。受け入れられない。今朝の姿が頭の中に蘇る。
「……そうですか、ありがとうございました」
 マイムが、医者に頭を下げていた。医者達は部屋から出ていく。扉の閉まる音がした。
「……」
「……」
 マイムの唇が歪む。堪え切れなかった涙がぽたぽたと、瞳から溢れ落ちる。
「教官殿、教官殿……! まだまだ、教えて頂きたい事が、沢山あったのに……! 
 一緒に行きましょうねって言ったお店も、沢山……! 置いていかないで下さい、私を、私たちを……!!」
 泣き叫ぶマイムを見てやっと、実感のようなものが湧いてきた。女はもう目を開けない。楽しく笑う事も無い。自分に駆け寄ってくる事も無い。胸がずきりと痛む。嫌な鼓動が治らない。暗い思いが胸に満ちていく。
「……どちらへ」
「便所だ」
 


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