千夜一夜

鐘屋横丁

     

 
 その夜は、それでおしまいでした。朝起きてみると、そこには誰も居ませんでした。
 もう二度と、会えないのでしょうか。もう一度会いたいな。あの果てのない悲しみを、癒してあげたい。
 そんな事を思いながら仕事をこなして、ニドリーナと遊んで、いつものバーでお酒を楽しんでいました。
 そして数日後のある日、マンションの部屋に入ろうとすると……誰かが、立っています。
「やあ、レディ。こんばんは」
 少しキザっぽい呼び方と、低い声。意外と早い再会でした。
「サカキさん!」
「入っても?」
「ええ、いいですよ。良かった。また会いたいなと、思っていたんです」
「そう言って貰えると、俺も嬉しい」
 扉を開けて、彼をまた迎え入れました。ニドリーナは玄関までやって来て、彼を見ると尻尾を振って頭を差し出します。
「おお、よしよし」
 彼が大きな手で優しくニドリーナの頭を撫でると、ニドリーナはキュウと鳴いて足に擦り寄ります。
「かなり懐いてますね」
「俺もニドリーナを育てている。もしかしたら、同族の匂いがするのかもしれない」
「なるほど、そうでしたか。お腹、空いてます? 簡単なものしか作れないですけど」
「すまない。喜んで頂くよ」
 適当にサラダと、炒め物と、スープを作って出しました。その後は、またお酒。テレビをつけると、安っぽい恋愛ドラマが始まる時間でした。
「つまらないな」
「ええ、つまらないですね」
 私たちは顔を見合わせて、ふふっと笑って……キスをしました。情熱的なキスでした。彼はきつく私を抱きしめて、身をよじる事も許しません。
 その後はベッドに行って、互いに深く求め合いました。二人とも何度も何度も果てて、それでも求め合って、気づけば真夜中です。
「もうすぐ夜が明けちゃいますね」
「そうだな。これくらいの時間が一番好きだ。暗くて、静かで、どこか寂しくて」
 彼はまた、私を抱きながら小さな声で「違う」と言っていました。
「……赤い髪の人は、まだ見つからないのですか?」
「見つからないな」
「諦めないのですね」
「ああ」
 彼はまっすぐな目をしています。ああ、赤い髪の人。あなたはなんて幸福なんでしょう。この人に、こんなに愛されて。あなたが目の前に現れれば、この人は全てをあなたに捧げるでしょう。いま、私に向けられているこの人の情熱はすべて、あなたのもの。どうか早く、早くこの人の前に現れますように。
 私の目から、一筋の涙がこぼれ落ちました。これは、祈りです。彼の幸せを希う、私の祈り。
 
 それから彼は、来たり来なかったり。
たまにフラリと現れては、何かを食べて、お酒を飲んで、夜を過ごして。交わらない日もありました。そんな日は、眠くなるまでふたりでどうでもいい話をずっと喋って。
 朝になると、必ず私が寝ているうちにそっと出ていきます。
 まるで、野生のニャースかペルシアンが、家に居着いたみたい。私はこの関係が、嫌いではありませんでした。
 ……でも、ある日突然、彼は来なくなってしまいました。姿を見せなくなって一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。
 ある日、手紙が届きました。ニドラン模様の、シンプルなレターセット。差出人は書いていません。けれど私には分かりました。彼のものであると。
 手紙にはこうありました。
「すまない、もう会えない。俺は、俺の道を行く
 さよなら、最後の君」
 私はきっと、赤い髪の人が見つかったのだと思いました。だから代わりの私は、もう用済みなのだと。今頃は全てを忘れて、幸せに過ごしているのではないか。そんな呑気な事を考えていました。


~ 3/4 ~