蜘蛛の糸

鐘屋横丁

     

「ここが私の部屋だ。コーヒーでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
 パシオでは、滞在者のための宿泊施設が沢山あります。その中でも、かなりグレードの高そうな部屋に通されました。自分の使っている部屋の倍くらいの広さがありますね。
「ほら、コーヒーだ。体調は大丈夫か? 辛かったら、横になっても構わない」
「もう大丈夫です。気を遣わせて、申し訳ありません」
 椅子に座って、男からコーヒーを受け取って飲む。たったそれだけのことなのに、心臓は早鐘を打ちます。あの顔で、あの瞳で私を見てくる。あの声で、優しく囁いてくる。こんな甘い時間が、あっても良いのでしょうか。
「……そうか、そんな事が」
「はい」
「それで、パシオまで」
「はい」
「辛かったな。素晴らしい、忠誠心だ」
 気づくと私は、これまでの事を男に全て話してしまいました。男は適度に相槌を打っては、私の事を褒めた。聞き上手でした。そんな所にも、サカキ様の面影を感じてしまうのです。目の前にいるのは、よく似た別人。そんな事は分かっているのに、もっと話したいと、もっと褒められて欲しいと思ってしまいます。
「パシオでは、3人1組で組んで戦うのが普通だ。アポロ。お前さえよければ、一緒に戦わないか」
「はい! 喜んで!」
 嬉しい。また右腕として戦う事が出来る。たくさん戦ってお褒めの言葉を頂こう。ヘルガーも、きっと喜ぶ。ああ、自分はパシオに来てよかった——のか?
 本当に、それでいいのか? サカキ様を探しに来たのではなかったのか? この旅はここで終わりなのか? 別人の右腕になって、喜んでいていいのか? サカキ様、サカキ様はどこ——どこにいらっしゃるのですか?
「アポロ」
 男が、再び私の名を呼びます。ああ、名前を呼ばれるとまた靄の中に迷い込んだような心地になる。呼ばないで欲しいような、もっと呼んで欲しいような、どちらとも言えない気持ちになります……。
「大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」
「え? ええ、はい」
「立て。やはり少し、横になった方がいい」
「はい……」
 コーヒーをテーブルに置いて、ゆっくりと立ち上がります。
 その瞬間、男は私のことを——優しく、抱きしめました。ぬくもりに包まれながら、ふわりと香るコロンの匂いを嗅ぎました。やはり、サカキ様と同じものです。懐かしい香り。……ああ。私は帰って来たのです。このひとの腕の中に。ずっと、欲しかったものが手に入ったような気持ちになります。ゆっくりと、腰に手を回しました。


~ 3/7 ~