風の声

鐘屋横丁

注意書き

ミュウツー我ハココニ在リを見ました。
めちゃくちゃ良かったです!!!老いたサカキ様がミュウツーを訪ねる話です。

風の声

     

 そよ風の心地よい日だった。ピジョンが数匹、急いでこちらにやってきた。
「……人間? 一人か? ポケモンを連れてる様子がない?」
 おかしな訪問者が来たものだ。ここは岸から遠く離れた無人島。漂流者かもしれない。
 そんなことを考えていると、一人の男が目の前に現れた。
「……貴様は、サカキ」
「久しいな、ミュウツー」
「何をしに来た。また、私を捕らえようというのか」
「……」
「答えろ!」
 右手にシャドーボールを膨らませる。最大出力。人間の身で食らえば命は無いはずだ。
「……」
 そんな事は、あちらも分かっているだろう。
 だが、サカキは一歩も動かない。こちらを見つめたまま、何も言わずに立っている。
 以前のこいつが見せていたような、自信に満ちあふれた佇まいとは違う。
 こいつは——死を覚悟しているのだ。
「……」
 違う点は、いくつもあった。
 沢山いたはずの部下を連れていないこと。険しい道を歩いた靴が汚れている。たった一人で、ここまで来たのだろう。
 それから、……老いている事。
杖に頼るように立ち、それを支える手はか細く、皺だらけだった。顔もそうだ。以前のような鋭い眼はそこにはなく、髪は白くなりかけており、ただの一人の老人がそこにいた。
 ……人間という生き物は、あと何年生きるのだろうか。もう、すぐ死んでしまうのではないか。かつての敵とはいえ、目の前の、あまりにか弱い生き物を殺める気には、どうしてもなれなかった。
「チッ」
 シャドーボールを握り潰した。
「優しいな」
「そんな姿に成り果てたお前が、哀れなだけだ」
「いいや。お前は優しい。昔からな」
「昔……」
「そうとも。お前を誰より知っているのは、この私だ」
 そう言って、ニヤリと笑う。笑い方は同じだ。変わっていない。
「あの日を、忘れた事はない。お前が生まれ、初めて言葉を交わした日」
「……」
「鎧を付けさせた事もあったな。多くの破壊と略奪を、共に行った日々があった」
「やめろ……」
「お前を取り返しに、湖に行った事もあったな。美しい場所だった」
 胸がドキンと鳴る。
「その事は、確かに記憶を消したはずだ。なぜ」
「記憶は消せても、記録は消せない。本部にデータが残っていた。それに年を取ると、ぼんやりと思い出すものもある」
 自信を持って語る口調は同じだ。先程から、同じ点を見つけてはどこかほっとしている自分がいる。ああ、目の前の人物はサカキなのだ。もう自分に対して何をする事も出来ない、一人の老人なのだ。
「……」
「……少し、話さないか」
 サカキがこちらを向く。
「ああ」
 胸がドキドキする。頭が混乱する。その中で、返事をしてしまった。大丈夫だ。いざとなれば消し飛ばすことが出来る。こんな老人に、何かが出来ると思わない。
「……お前は、間違いなく最強のポケモンだ」
「……そうか」
「お前がいれば、世界の何もかもを破壊できた」
「破壊か。破壊して、何が残る」
「何も残らないさ。そこから自分たちの秩序のもとに再生するのが、ロケット団の仕事だ」
「……」
 確かに、破壊だけでは何も得られない。理に適っている。
「お前には、破壊をさせてばかりだったな。すまなかった。破壊のその先を、見せてやるべきだった」
「今更何を……」
「老人のたわ言だ。老いると、後悔ばかりが胸に浮かんでくるものなのだ。あの頃、私はお前の大いなる力に酔いしれていた。お前に夢中だった。お前の気持ちなど、何も考えていなかった」
 サカキは空を仰いだ。
「そうだな。私を見つめるお前の目は、いつだって輝いていた」
「フッ。そうだったか。ともかく、それが失敗だったな。お前の中にいつの間にか生まれていた心に気づけなかった」
「心か」
「あの頃のお前にはもう、立派な心があった。未熟なものと侮っていた。私の過ちだ」
「……」
「すまなかったな」
「何と?」
 思わぬ言葉に思わず聞き返した。
「お前を苦しめた。お前の心に気づいてやれば、お前に愛と忠誠をもって私の下で働かせる事が出来ただろう」
 ニヤリ、とまた笑う。顔の皺が深くなる。
「フン。誰が貴様の思い通りになるか」
「憎いか? 私が」
「ああ。世界中の人間の誰より憎いのがお前だ、サカキ」
「なら、殺せ」
「……っ」
 右手をぎゅっと握りしめる。出来ない。どうしても、出来ないのだ。
「フフフ、分かっている。私はお前のよき理解者だからな」
「黙れ……! 私にも分かる。お前は、そのうち死ぬのだろう」
「ああ。医者に余命を宣告されてな。もう長くない。余命、わかるか? もう数年もすればあの世行きだ」
「……」
「やり残した事の無いように人生を終えたかった。その最後の残りが、お前だ」
「私?」
「ああ。今どうしているか。この目でどうしても、確かめたかった。お前は私のポケモンだからな」
「……違う」
「いい。今は違う。それで構わない。きちんとした矜持がある。優しさを抱いて、他のポケモンと暮らし続ける。それがお前だ」
「……」
「貫けよ。死ぬまで」
「ああ。そのつもりだ」
 サカキが背を向けた。
「邪魔したな。達者でやれよ」
「……サカキ」
「もう言う事など、お前には無いはずだ。私は帰る」
「ああ。そうだな」
 さわやかな風が吹き、草木が音を立てる。
 よたよたと老人は歩いていく。送ろうか、とも思ったが、余計な気遣いだと思った。
 
 しばらく、ぼんやりとして過ごした。何か言い残した事がなかったか、考えては無駄な事だと頭を振った。
 あれから、サカキは二度とやってこなかった。どんな最期だったのだろう。多くの部下や家族に囲まれて逝ったとも思うし、独りを選んだのかもしれないと思う。
 自分は、サカキという男をもっと知っておくべきだったのかもしれない。
 風が強く吹き、ビュウと音を立てた。